私たちのはじまり 2
遥かな昔に、根源の光から、私たちは分離してきた話をしました
元なる存在が、相対の世界を生み出し、私ではないものを体験するために、個々の存在が生まれ、私たちも誕生しました
複数の存在が生まれたことによって、空間が生まれます
相対の世界が出来るというのは、私とあなたの関係性が生じる世界であり、そこで二人と、あるいは複数の存在との距離が出来たのです
他のものとの位置関係(距離)というものが、空間の誕生によって出てきました
相対世界で空間が生じることによって、私たちは近いものと遠いものの関係を体験できるようになります
そして互いに近づいたり離れたりする運動が生じるために、時間も生み出されていきます
時間とは存在そのものに変化が生じることを意味します
お互いの位置の変化であったり、内的変化が起こる性質が、時間という概念でもあります
私たちは時には互いに離れたり、時には近づいたりしますが、それは時間の創造によって体験できるものです
それゆえ時間は作られ、私たちは変化を体験することが出来るようになりました
時間と空間が生じることによって、動きのある世界、変化を体験する世界が出来てきました
その世界において、個性ある光の塊たちが、互いに影響しあい、変化しあえる体験を積むようになったのです
そうした個々の存在が分離して生まれることによって、互いに切磋琢磨していき、向上し発展することを主は望まれたのです
絶対の存在そのものであれば、変化もなく、そのままですべてなのですが、相対の世界を作り、そこで光から分かれた無数の個性ある魂たちが活動することによって、発展し向上する世界というものをお創りになられたのです
私たちは一人であれば、何らの刺激も無く、何の変化も向上も起きないでしょう
他人や対する物があって、はじめて私たちは自分を知り、自分を向上させていけます
異なる個性があるという事は、それによって互いに学び、切磋琢磨せよという主の無言の思いが込められています
その向上の先、向かう先と言うのは、根源の光である主のもとへと向かう旅でもあります
目指す先は決まっています
鮭が成長して生まれ故郷の川をさかのぼる様に、私たちも根源の主の元へと魂を向上させていく道を上っていくのです
そのように、私たちの存在そのものには、神の元へと向上していくこと、進歩と発展の原理があり、もうひとつは前回述べましたように、他を愛すること、愛と調和の原理が内包されています
この二つの原理が、私たちの魂に刻み込まれているのです